24時間テレビ
私は嫌いじゃないけどな。
この人達はこうやって悲しみを乗り越えたのか とか まだ悲しみを引きずったままなら もしかしたら 同じような気持ちなのかな とか
そんな事を考えながら見てる。
募金が困ってる人に役立てばいいと思うし
その時だけでも有名人がギャラを貰ってでも募金活動すればいいと思う。何でもかんでも人の善意に頼って成り立たせなくても ギャラを払ってでも有名人に仕事してもらって スポンサーからは運営資金出してもらって それが続くならそれでもいいと思う。
恒例の過酷な中を走らせるのはどうかとも思うが やりきる努力は凄いと感心する。
それだけでいいんじゃないかな お涙頂戴だとか 無理矢理させてとか 本当の所は分からないけど、本人や家族が納得してるならいいと思う。
それで集まった募金が 難病を完治させる研究や困ってる人達の補助になればいいと思う。
何でもかんでもクレームをつけて 生きにくい世の中にはなって欲しくない。
涙
すごく幼稚かもしれないが 昨日モンストのアニメを観て泣いてしまいいつまでも波が止まらなかった。
七夕の話で とある祭りに参加するのは会いたい人がいる人ばかりで。。。という話
灯籠の横に亡くなった会いたい人が出て来て。。。という ありきたりかもしれない話なんだけど
涙が止まらなかった
嗚咽まで。。。
今 我が家は問題だらけ
人に言えない恥ずかしい問題だらけ
一日も早く自分の人生が終わる事しか考えられない
今は義務だけで何とか耐えてるような気分
何のしがらみも無ければ。。。と考えてしまう
悪霊でもなんでもいい呪い殺されてもいい
早くすべて終わって欲しいと望む
こんな事誰にも言えない
でもいつも頭の中はその事でいっぱいである
ぐーたら
亡くなってから 沢山しないといけない事がある。
四十九日ぐらいまでは気持ちも張っていて ちゃんとこなす事が出来たが日にちが経ってしまうと 何もやる気が起こらなくなるなどして後回しにしてしまう。
まだ墓が決まっていない。区切りのいい時にみたいな事が多いようだが まだどのタイプにするのかすら決め兼ねている。見学でもしてくれば先に進みそうなものだが 体が重くて中々実行出来ない。知り合いに何年もお骨を家に置いてある人や 墓があっても納骨していない人もいる。側にずっと置いておきたい気持ちはあるがそうもいかない事情がある。
資料を取り寄せてはみたものの分からないことがあったりイメージの湧かない事があったりと すぐ読むのをやめてしまう。
今日は帰宅したらちゃんと読もうと思う。
明日は我が身
とある放送局のアナウンサーの奥様が若くして病死されたというのを聞いた事がある 別のラジオでその方と仲の良いという芸能人もその話をしていた
そういう事もあるのかと気の毒に思ったのと これからその方はどう過ごしていくのだろうとその話を聞いていた でも他人事というか別の世界の話のように感じていた
自分に同じような事が起こるとは全く考えていなかった 何故自分には無縁と思っていたのか 何の根拠も保証もない 何故いつまでもそのままの日々が続くと考えていたのだろうか 能天気というか平和ボケというか どんな事件も事故も災害も全て何故か他人事のようにニュースを見ている 明日は我が身と何故考えないのだろうか
こうなった今もやはりニュースで見る事件や事故を他人事のように感じている
結局何も学習していない 盆はどうしようとかお墓の事とか 考える事は自分の事ばかり 何も変わっていない